割とマジメに書いてみた人生の略歴
■10代後半
自宅から自転車で片道40分かかる道立高校に進学。
みんなが部活動を決める中、焦りを覚えた私は中学校時代に入っていた陸上部に入ることを選んだ。
4月も下旬ころだったろうか。当時、陸上部顧問だった体育専門のマエダ教諭は「こんなに遅く入部してきたなら、きっと途中で辞めてしまうだろう」と予言。
1年間は何とか「文武両道」に努めるも、次第に息切れし、遂に翌年、部活動を勝手にサボってそのまま退部した。
悔しいことに顧問の予言は的中した。
それ以降は挫折感でいっぱいで、心理的には「暗黒の時代」だった。
慕ってくれた後輩もいたのに、私が退部したことがきっかけにつながったのか、後輩も後を追うようにして退部していた。
私の存在が他者の人生に少なからず影響を与えていたことを知った。
高校の授業がさっぱり分からず、遂に物理の教科では人生初の赤点を取る。
2年次までは理系のクラスに在籍していたものの、3年次から文系のクラスに移った。
中学時代は授業を真面目に聞いてさえいれば、普通に「学年300人中の30人以内」に入る成績を取れていたのに、高校生になってから授業が分からずに落ちこぼれになった。
どうしていいのか分からず、落ちるところまで堕ちた。
仲の良い同級生は、落ちこぼれとなった原因について「片道40分かけて通学し、さらに陸上部でへとへとになるまで練習しているから勉強ができなくなって当たり前」と優しく指摘してくれた。
中学時代は、全家研「月刊ポピー」という学習教材を一生懸命にこなしていたので成績が良かったのだろうか。
高校時代は、塾通いもせず、ポピーもなく、自然と自学自習する習慣が失われていたのかもしれない。
短大卒の母親から「大学だけは入るべき」と強く言われ、当時偏差値が最も低かった学科のある大学の試験を受けるも、不合格。
浪人生になることが決まった。
札幌の学生会館で浪人生活を送ることになる。
その学生会館には、北大生もいた。
私と同じ境遇の浪人生もおり、函館や羅臼、静内などの地方から大学進学を目指して札幌の予備校に通っていた。
最初の頃は模試の判定も良かったが、現役生が力を付けていったためか、月日を追うごとに模試の判定が悪くなっていった。
当初は「北大に入る」と心に決めていたが、結局学力的に無理であることが分かり、地方の国立大学を選ぶことにした。
■20代前半■
地方の国立大学に進学するも、人文学部で何がしたいのか自分でも分からず迷走。
中学時代に改心してキリスト者になっていたので、聖書研究会という主にキリスト者が集まる文科系サークルに入った。
国立青年の家で学生同士の合宿を企画するなど、少しは奮闘したと思っている。
授業には出ず、大学図書館に入り浸ることが多かった。
大学生は、授業に出ないことが格好いいことだと勘違いしていた。
大学図書館の新聞閲覧コーナーに日本共産党の機関紙「赤旗」があったので、よく読んでいたが、次第に社会の問題に憤りを感じるようになった。
冴えない大学教授が趣味でやっているような英米文学を専攻していることにも「意味があるのか」と疑問を募らせていった。
私の排他的な性格が災いし、聖書研究会は男3人しかいないサークルになった。
華の女子大生との和気あいあいとしたサークル活動を夢見る欲求はとどまることがなかった。
そのような中、夕暮れ時に学内の掲示板に他大学の「法学部」への編入学の案内があるのを発見。密かに他大学へ編入学することを決意した。
「赤旗」を読んで政治に興味を持っていたので、法学部へ編入するのは好都合だと考えた。
運よく、編入学には成功するも、法律の基礎的な素養がなかったため学問についていけず挫折。
大学寮に引きこもってしまい、当時女子学生が多かったせっかくのサークル活動とも距離を置くようになった。
いつしか「引きこもりの可哀そうな先輩」との評判が立ったとか、立たなかったとか。
■20代後半から30代後半■
憲法ゼミの卒論を書き上げなかったのに、教授が気を利かせたのか、まさかの単位取得で卒業要件を満たすことに。
一年留年するつもりが、不本意ながらも卒業することになった。
不完全燃焼のまま、行く当てのない「学士(法学)」になる。
当時は就職氷河期だったことも災いし、第一志望のマスコミ大手にはご縁がなく、就職活動に失敗。
挫折を味わいつつも、夢を忘れられないまま、当座はアルバイトで糊口をしのぐ。
「大学を卒業したのにもったいない」とは、ホテルマンをしていた当時、宿泊客である三菱重工のエリート会社員から言われた言葉。
落ち武者の気分を味わった。
その後、契約社員として塾講師の仕事に就き、長時間労働で身を擦り減らした。
転職を繰り返して無職になった一時期がある。
「訳アリ」の事情を抱えた労働者が多いと聞くガテン系の運送会社の仕事に手を出した。
古株の男性による罵詈雑言が精神的に耐えられず、1日で音を上げた。
すっかり「負け組」意識が染み付き、太宰治のように露悪的に自己卑下するようになる。
嗚呼、夢と希望に満ちた学生時代の誇り高きプライドはどこへ行ったのか。
■現在■
孔子が説く「天命を知る」の年代の一歩手前。少年老い易く学成り難し。振り返れば、挫折経験の何と多いことか。
自伝を貪るように読んだ鉄鋼王アンドリュー・カーネギーや、『思考は現実化する』で有名なナポレオン・ヒルのような富豪・プチリッチにはなれそうにない。
とはいえ「資産所得だけで生活する夢」を諦めるのは、まだ早いと自らを鼓舞している 。
男女間の交際に生真面目な硬派を気取り、恋愛にはキリスト者であるがゆえの奥手だったため、つまり「草食系男子」だったため、独身のまま、異性とデートに出かけることもなく生涯を終えようとしている。
気付いたら非婚主義者。
異性とイチャイチャしながら官能的な接吻を交わすことすら、宗教上の理由から頑なに拒んできた。
キリスト者の大学生のための教派を超えた組織「キリスト者学生会(KGK)」の指導者が「同棲や婚前交渉は、性のつまみ食いである」と指摘していた。
風紀の乱れから同棲や婚前交渉が当たり前の世の中に、「性のつまみ食い」との指摘は斬新である。
女の子を泣かせてはいけない―。
これは、母の訓戒(おしえ)でもある。
大学生だった頃、私は朝晩の食事付きの下宿で暮らしていたが、ある夏の日、斜め向かいの学生アパートから女性の泣き声が聞こえてきた。どうやら同棲している(?)彼氏と喧嘩をしたようだ。
窓が開いているので、近所中に響き渡るほどの泣き声だった。
あまりにも長く続いたため、近所のおばちゃんがアパートの二階にあるその部屋まで駆け上がり、ドアをドンドンとたたきながら「あんたたち何やっているの!」と怒鳴った。
おばちゃんの勢いに気おされたのか、泣き声がやんだ。
そしてつかの間の静寂―。
泣いていた本人と泣かせた彼氏が出てこないので、おばちゃんは諦めてその場を離れた。
恐らく女子学生と彼氏は、部屋で息を潜めていたに違いない。
そんな光景を目撃しただけに、女性を泣かせるようなバカな野郎にはなりたくないと誓った。
キャリアらしいものを挙げるとすれば、これまで建設・教育業界の専門紙記者として、10年ほど経験を積んだ。
文章はお世辞にも巧いとは言えないが、書くこと自体は嫌いではない。
ブログを通じて、あなたの問題解決に少しでも役立つ情報を提供できるよう不定期でブログ更新している。
【こだわり】
「百害あって一利なしのタバコを吸う人は、正しい物の判断ができない」と、メンタリストDaiGoが指摘していた。
大いにうなずいた。
タバコ1本を吸うと大体寿命が12分くらい縮まるようです。
タバコ1本の煙を受動喫煙させることによって、喫煙者は周りの人の寿命を12分縮めることになるとメンタリストDaiGoは説いています。
己の自制心のなさのために、他人の寿命を12分奪うだけの権利があると思うなら、タバコを吸えばいい、とメンタリストDaiGoは迫ります。
このあたりは痛快です。
喫煙者はニコチン中毒の影響下にあり、健康管理と自己管理ができない哀れな被害者と考える。
無遠慮にタバコを吸う人がいたら、ソッと離れるようにしている。
私自身は「非喫煙者歴=年齢」。
高校時代に養護教諭から言われた「アルコールは脳細胞を委縮させる」との教えを頑なに信じ、学生時代は学生寮で一気飲みを強要されるも、土壇場で拒絶する。
場の雰囲気をシラけさせた。
以降、今日に至るまで酒を一滴も飲まない人生を送ってきた。
断酒会に入っているわけではないが、断酒会の活動を陰ながら応援したいと思っている。
作家の浅田次郎が説く「下戸の福音」が拠り所。
これでまあまあ幸せな人生だと「自己洗脳」している。
【下戸の福音】浅田次郎
私は酒を飲まない。
しばしば「飲まないのか飲めないのか」と訊(き)かれるが、そのつど愚問だと思う。
正しくは「飲んだことがない」のである。
それにしても、喫煙者が奇人変人のように見られる昨今、酒を飲めぬ人間が奇人変人のごとく思われるのはどうしたことであろうか。
飲めぬ体質ではあるまい。
父も母も酒豪で、ともに肝硬変から肝癌(がん)という王道を歩んで世を去った。
そうした父母を見続けてきたので、酒を怖(おそ)れたと言えばはずれではあるまい。
しかし異論はある。
酒は飲んでしまったら最後、読み書きができなくなる。
実際にはどうか知らぬが、たぶんそうにちがいない。
何にもまして読み書きが好きであった私は、ゆえに酒を生活に持ち込むことができなかった。
何を大げさな、と思われる向きもあろうが、酒を知らぬ者の目にはあの飲んでいる時間、加うるに酔うている時間は、まこと時と金の空費としか映らぬのである。
しかも夜ごとの累積を思えば、とうてい覚える勇気は湧かなかった。
酒を飲まぬ夜々を知る人は少ないであろう。
長い。
ものすごく長い。
ヒマでヒマでどうしようもなく、しまいには読むことにも飽いて、書いてみようという気になる。
亡き父母は作家になった私を、しきりに怪しんでいた。
しかしふしぎは何もない。
ひとつのことに多くの時間を費やせば、何とでもなるのが人生である。(参考:「下戸の福音」: 団塊バカ親父の散歩話)
【座右の銘および名言】
①「人間万事塞翁が馬」(出典:『淮南子(えなんじ)』)
②「禍福はあざなえる縄の如し」(出典:『史記』)
③「人生に起こることは、すべて自分を成長させるための『肥やし』」(出典:元キックボクサー・廣田康之著『敗者復活力』)
④「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たち(注:クリスチャン)と共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、私たちは知っている」(出典:新約聖書「ローマ人への手紙8章28節」)
【習性】
インドア派で 「 manablog 」― Written by Manabu Bannai のマナブさんのように「引きこもり」を自称する。
【これまでに住んだことのある場所】
弘前、新潟、網走、函館など