「コミュニケーション」と一口に言っても、その正体はなかなかつかめません。
聴くことであったり、伝えることであったり、親子が意思疎通を図ることであったり、初対面の人と話を合わせられることであったりと多様な解釈が混在しています。
一言でコレとは言い切れないのが「コミュニケーション」の奥深いところです。
ただし、どんな「コミュニケーション」にも共通して必要になるものがあります。
それが相手に対する「礼儀」です。「リスペクト(敬意)」と言い換えてもよいでしょう。
本サイトの記事では、「コミュニケーション」の前提として「礼儀」または「リスペクト(敬意)」が欠かせないことをお伝えします。
盲点になりがちな「礼儀」の重要性を理解することができるでしょう。
1. コミュニケーションの前提となる礼儀の必要性
コミュニケーションをとる相手に対しては、「礼儀」または「リスペクト(敬意)」を示す必要があります。
私たちは、心の中で舌を出して相手をバカにしながら会話をすることができますし、深い敬意を感じて会話をすることもできます。
ただ、内面のことなので、表面的には分かりません。
それでも、不思議なことに会話をしている相手は、私たちがどのような感情で話しているかを敏感に察します。
そして仮に察したとしても、言葉に出して指摘することはありません。
私たちが相手の話し方をなぜか不愉快に感じるとしたら、相手は内心でバカにしながらしゃべっているのかもしれません。
逆にあなたが気持ちよく会話をすることができるとしたら、相手はあなたに敬意を示していることになるでしょう。
「我以外、みな我が師」とは、昭和37年に亡くなった作家・吉川英治の座右の銘です。「自分以外の人はみな、自分にとって先生である」といった意味です。
吉川英治は、どんな人にも学ぶべきものがあると考えていました。
他人を見下したり、バカにしたりすることは簡単です。けれども、どんな人にも一つや二つ、他人より秀でたものがあります。
欧米では、これを「Gift(ギフト)」と言い、天から与えられたものと受け止めます。日本語的には「天賦(てんぷ)の才」ということになるでしょうか。
松下電器産業(現・パナソニック)の創業者である松下幸之助が、どんなに偉くなっても謙虚に人の話に耳を傾けたエピソードは有名です。
偉くなればなるほど、ふんぞり返って人の話を聞かなくなるワンマン社長とは大違いです。
松下幸之助は、著書『道をひらく』(PHP研究所、1968年刊)でつぎのように述べています。
天地自然、この世の中、敬う心があれば、敬うに値するものは無数にある。
犬や猫には敬う心の働きはない。
だが、人間には、ものみな、人みなのなかに敬うべき価値を見いだす能力が与えられている。
本質として与えられている。
その本質を生かしつつ、敬うべきものを敬うことによって自他ともの心をゆたかにし、高めることのできるのは人間だけではなかろうか。
その人間の特性を素直に生かしたい。
敬う心を高めて、おたがいのゆたかさをはかりたい。
「どんな人に対しても敬うべき価値を見いだすことができる」というのが松下幸之助の見解です。
「敬う心」を持つことで、他人にその人ならではの価値を見いだせるということでしょう。
2.駆け出しの営業マン時代の体験談
先輩の車に同乗し、営業同行をしました。入社して間もないときです。
トヨタのプロボックスという営業車の助手席に座った私に対し、先輩はいろいろと質問をしてきます。そして私の返答に対し、感心したようにうなずいてみせるのです。
先輩は営業成績も上位で、デキる営業マンです。その先輩が、ひよっ子の私の発言を認めてくれたわけですが、こそばゆいくらいでした。
先輩からの質問内容は、学生時代にどんな勉強をしてきたかといったものです。
ともかく、先輩から敬意をもって接してもらったことは忘れられません。
先輩は間違いなく「敬う心」をもっていた人でした。
その先輩は後に営業所長に抜擢され、栄転されます。誰から見ても、人の上に立つべき人材でした。
きっと営業所長として、多くの部下から信頼を集めたに違いありません。
3.まとめ
コミュニケーションの前提となるのは、礼儀です。気持ちのよいコミュニケーションを図るには、相手に対するリスペクト(敬意)が欠かせません。
私たちが「敬う心」をもって相手に接すれば、相手も同じように接してくれます。
松下幸之助の言葉にあるように「人みなのなかに敬うべき価値」を見いだしてコミュニケーションをとりたいものです。
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