夫婦円満の処方箋その③「関心を持って聴く」

食事をする夫婦の画像

お互いに好きで一緒になった夫婦でも、結婚後3年、5年が経つうちに、次第に結婚生活がマンネリ化し、「何でこの人と結婚したのだろう」と思うようになることがあります。

 

妻は、無口で愛想がない夫とのコミュニケーションがだんだん減っていることに気付くかもしれません。

 

夫も、育児にかかりきりとなる妻と、スキンシップを含めたコミュニケーションが以前ほどとれなくなったと感じることでしょう。

 

こうなると、お互いが「空気のような存在」となり、形式的な夫婦関係を惰性で続けることになりかねません。

 

一方、年を重ねるごとに親密さを増す「おしどり夫婦」が存在するのも事実です。

 

本サイトの記事では、夫婦円満のコミュニケーションに効く3つ目の処方箋をお伝えしたいと思います。

 

3つ目の処方箋は、「 関心を持って相手に質問する」ということです。

 

この処方箋を意識することによって、どんな夫婦でも変わらぬ愛情をお互いに持ち続けることができるでしょう。

処方箋その③. 「質問」をする

「質問」といっても疑問があるから尋ねる質問ではなく、日常生活のさりげないことでも相手に「聴く」ことを指します。

 

早朝、夫が新聞を読んでいるところに、妻が起きてきたとします。

 

「おはよう」とあいさつを交わしたら、それで終わりとするのではなく、「よく眠れたかい」などと「質問」するのです。

 

妻は「よく寝付けなかった」などと答えるでしょう。夫は「どうして?」と聴きます。

 

妻は「布団が暑苦しくて」と答えるかもしれません。

 

夫婦だから「あうんの呼吸」で伝わると考えるのは早計です。

 

聴かないことには、相手の思いを知ることはできません。

 

もしも上記の例で夫婦が「おはよう」とあいさつを交わしただけで会話が終了したら、どうなるでしょう。

 

新聞を読んでいる夫は、なぜか妻が不機嫌そうなことに気付きました。

 

妻の寝ぐせも目立ちます。

 

何らかの推測はできますが、妻が不機嫌な理由はあいまいなままです。

 

もし正確に知ろうとするなら、妻に聴かなければいけません。

 

 

修道女のマザー・テレサが「愛の反対は憎しみではなく無関心」と言った言葉は有名ですが、サイト「名言ナビ」に類似の表現があります。

MotherTeresa 090

  1. 愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。信頼の反対は傲慢ではない。無関心である」
    (エリ・ヴィーゼル:ユダヤ人作家、ノーベル平和賞受賞者)。

  2. 愛することの反対は憎むことではなく、無関心であることだ
    (カール・ヤスパース:ドイツ人の哲学者、精神科医)。

  3. 愛と憎しみを正確な対立物と見ることは完全な誤りである。愛の対立物は愛でないもの・・・つまり無関心である
    (ゲオルク・ジンメル:ドイツ系ユダヤ人、哲学者、社会学者)。

夫婦の愛情にも、こまめな「手入れ」が欠かせません。

 

「手入れ」とは、相手に関心を持つということです。

 

お互いに黙っていても意思が通じるという考えは、都合のいい錯覚にすぎません。

 

営業の神様の加賀田晃氏がつぎのようなエピソードを紹介していました。

 

ホテルの食事会場での出来事です。

夕食

加賀田氏が座った席の近くに、老夫婦がテーブルをはさんで座っています。

 

ところがその老夫婦は、食事中、一言も話しません。

 

ただ黙々と料理を口に運んでいます。

 

ご婦人は食事を終えても、無言のまま時間をやり過ごしていました。

 

旦那が食事を終えました。

 

二人はそのまま黙って席を立ち、会場を後にしたという次第です。

 

いかがでしょうか。

 

どの料理がおいしいといった会話が二言、三言あってもよさそうなものです。

 

それとも絶句してしまうほど、ホテルの食事が不味くて言葉を失ったのでしょうか。

 

長年連れ添った夫婦だからといって、食事中に会話が一言もないというのは、寒々しいものがあります。

 

禅宗では「言葉や文字では説明できない深遠な仏法の真髄を心から心へと伝えること」を「以心伝心」と言います。

 

一般には「言葉に依らなくてもお互いに気持ちが通じ合うこと」を指しますが、夫婦関係に「以心伝心」を都合よく持ち込んではなりません。

 

愛情は、手間をかけて育んでいくものです。

 

縁あって一緒になった伴侶に、関心を持って「聴く」ことが欠かせません。

 

「今日あった出来事」を質問するだけでもいいでしょう。

 

「今日は何か変わったことはなかったかい」と質問するだけで、相手は「そういえば・・・」と語り始めるかもしれません。

 

「質問」からコミュニケーションが始まります。

 

3つの処方箋.まとめ

処方箋①では、テレビを捨てるよう提案しました。

 

テレビの存在が、夫婦のコミュニケーションの時間を奪っているからです。

 

テレビ画面と向き合っている時間が長ければ長いほど、夫婦で向き合う時間は少なくなります。

 

処方箋②では、ノンバーバル・コミュニケーションを大事にする必要性を指摘しました。

 

伴侶から聴いてもらえていると安心するからこそ、人は自分の内面について語り出すことができます。

 

まずは手を止めて伴侶に向き合い、聴く姿勢を持つことが大切です。

 

そして処方箋③では、「質問」することの大切さを伝えました。

 

愛情に「手入れ」は欠かせません。

 

無関心のまま放っておくと、愛情はいつの間にか冷えているでしょう。

 

伴侶に関心を持ち、さりげない話題で構わないので「聴く」ことが大切です。

 

以上、3つの処方箋を意識することによって、夫婦のコミュニケーションを豊かなものとすることができます。

 

処方箋その1とその2でも掲載した『和田裕美の人に好かれる話し方』(大和書房)から和田さんの言葉を紹介します。

 

くどいかもしれませんが、何度読んでも良い含蓄のある言葉だと考えます。

人間関係は話さないと知り合えないのです。

 

わかり合えないのです。

 

夫婦になっても、恋をしていたければ空気の存在っていうものを誤解しないようにしなくてはいけないと思います。

 

夫婦における会話が少なくなってくると、空気のような存在とかなんとか言って、その状態を居心地のよい状態と勘違いしてしまうのかもしれません。

 

だけど私は思うのです。

 

何年連れ添っても、だんなさんから話しかけてもらって、たまには「おいしいね」とか「きれいだね」とか言ってもらっている奥さんは、やっぱり幸せだと思います。

 

奥さんから、「今日のあなたってかっこいいわね」って、孫がいるような年齢になっても言ってもらえると、やっぱり嬉しいのだと思います。

 

言葉は使うべきです。

 

人は人と話すべきです。

 

好きな人や大切な人をもっと大事にするために、人は人と上手に話すべきです。

 

コーヒーを飲む夫婦の画像
廃テレビの画像

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUT US
モタヨシ
不遇の就職氷河期世代。