元看護師だった祖母は、酔うと同じ話を繰り返しました。
死別した旦那がいかに豪快だったかを懐かしそうに話すのです。
いまだに惚れているといった様子でした。
年寄りほど昔話をリピートするものです。
「その話、前にも聴きました」とうっかり口を滑らしそうになります。
鈴木絹英編『一目でわかる傾聴ボランティア』(NHK出版)には、つぎのような一節があります。
何度も話すのは、それが、印象深く心に焼きついていることだったり、(中略)要するにとても大事なことだからです。
人が同じ話を繰り返すのは、それだけ強く記憶に刻まれた出来事だからです。
相手が同じ話を始めたら「前にも聴きました」と口をはさむのではなく、黙って聴き続けたいものです。
あなたは話し手のよき理解者として、深いコミュニケーションを図れるようになります。
1.高齢者でなくても同じ話をリピートする
高齢者が昔の思い出を何度も話すケースは、珍しくありません。
「その話、前にも聴いたことあるよ」と親切心で言ってあげたくなります。
でも、話している本人は一度話したことがあろうがなかろうが、話したいのです。
それだけ強いインパクトがある体験なのです。
話をさえぎるよりも、聴いてあげた方がコミュニケーションは深まります。
実は同じ話を繰り返すケースは、高齢者だけに限ったことではありません。
高齢者ではない中年の私にも、思い当たることがあります。
全社員の約一割が一年間で入れ替わる職場に勤めていたとき、同僚と「つぎはだれが辞めるんだろうね」とささやき合っていました。そんなとき必ず思い出したのが、悔し涙を流して辞めたT君でした。
秋に「観楓会(かんぷうかい)」という社内旅行が催され、温泉旅館に泊まったときのことです。座敷で入社二年目のT君は、酔いの回った三人の上司から仕事の件でボロカスに批判されていました。
可哀そうに逃げ場のない酒席でした。
三人の上司は、寄ってたかって責め立てます。
「だからお前というヤツはダメなんだ」と容赦なく人格を否定します。
巻き添えを食らいたくない私たちは、ダメ出しの集中砲火を浴びるT君を遠巻きに見守ることしかできませんでした。
見殺しにしたとも言えます。
完膚なきまでにたたきのめされたT君はその後、私たちと一緒に温泉に浸かります。楽しい社内旅行のはずでした。
湯煙が立ち込める中、T君は泣きはらした目で「もうこんな会社、辞めてやる」とくちびるを震わせます。
怒りをこらえきれない様子でした。
私たちがなだめても聞く耳を持ちません。
T君は言いました。
「あの三人だけの問題ではない。会社の体質自体が問題なんだ」。
その時点で会社の醜い体質を見抜いたのでしょう。
人をリスペクトせず、容赦なくこき下ろす会社の体質を。
ほどなくしてT君は退職しました。
T君とは信頼関係ができていると思っていただけに、音信不通になったのは残念でした。
私はT君の言葉の正しさを、その後、T君と同じような立場に置かれて痛感することになります。
T君を見殺しにした「報い」でしょうか。
今でも大の大人が悔し涙を流していた姿は、脳裏に焼き付いて離れません―。
と上記のような回想録を、あるとき同僚に繰り返し話していたことに気付きました。
まるで昔話をリピートする高齢者です。
強烈な一撃となる印象深い記憶は、一回だけでは語り尽くせないものです。
何度も脳裏によみがえります。
「モタヨシさん、その話、前にも聴きましたよ」と言われても仕方がないのですが、同僚は聴いてくれました。
感謝しています。
大事な話だから繰り返す
『一目でわかる傾聴ボランティア』から再度、引用します。
当人にとって「印象深く心に焼きついていること」は、何度話しても話し足りないに違いありません。
噺家(はなしか)が落語を練習して上達するように、当人の「話術」も向上します。
私もT君の話を繰り返しているうちに、だんだんと話が磨かれていきました。
当時の状況をより的確に伝えたくて、前に話したときにはなかった情報を盛り込んだからです。
ある社長の話
仏教に造詣の深い60代後半の社長は、会社の代表でありながら寺で行う修行のため一週間ほど会社を留守にします。
それくらい仏教に打ち込んでいました。
よく私を飲みに誘ってくださるので、恐縮しながら美味美食をごちそうになったものです。日本酒に酔うと、その初老の社長は「人生でたった一つ、過ちを犯した」と神妙な顔つきで話し始めます。
それは「結婚したこと」だと言うのです。
理解のある奥様と、優秀なお子さんがいるにもかかわらず「結婚しなければよかった」と悔やむのです。
何度か反論を試みたのですが「結婚は過ちだった説」を頑として譲りません。
30代半ばで両親に見合いを仕組まれ、不可抗力的に結婚まで突き進んだそうです。「結婚しなければよかった」と何度も聴かされたので、社長にとっては「ずーっと気にかかっていること」「要するにとても大事なこと」なのでしょう。
結局、私は社長の後悔の念を黙って受け止めるしかありませんでした。
同じ話でも、反論せず黙って聴くのです。
間違っても「その話、前にも聴きましたよ」とは言えません。
2.まとめ
前に聴いたことがあっても、「その話、前にも聴きましたよ」と言ってさえぎるのではなく、相手が「とても大事なこと」を話しているのだと思って耳を傾けたいものです。
以前聴いたときにはなかった情報が、新たに加わっている可能性もあります。
記憶に強く刻まれた出来事だからこそ、人は繰り返し伝えようとします。
気にかかっている体験だからこそ、繰り返し話題にします。
このことを念頭に、深いコミュニケーションを図りたいものです。
人は楽しい思い出や自慢話を聴いてもらいたくて、つい何度でも話してしまいます。しかし―
何度も話すのは、それが、印象深く心に焼きついていることだったり、ずーっと気にかかっていることだったり、要するにとても大事なことだからです。
話し手にとって、大事な話だからこそ、しっかり聴けば、話し手に大きな満足感を与えることができますし、信頼関係も深まっていくことでしょう。
また、前に聴いたときには気づかなかった情報が含まれていることもあります。
『一目でわかる傾聴ボランティア』より