内気で人見知りの人は、よく「自分はコミュ障です」と自虐的に告白します。
人と会話をするときに面白い話ができないと言って悩みます。
でも無理に話そうとする必要はありません。
意味のない話をしゃべっても、空疎な言葉が飛び交うだけです。
また、内気や人見知りの人は、自意識過剰なため、視野が狭くなってしまいます。
大切なのは自分に向けていた矢印を外に向けることです。
相手が何を話したがっているのかに焦点を合わせれば、自然と自意識は「他意識」に変わります。
つまり「他意識」に変われば、自分にまとわりついていた内気と人見知りは影を潜めます。
内気だったり人見知りだったりする自分の性格を変えたいなら、作家・太宰治のように自分のダメなところも格好つけず、暴露してしまうのもアリです。
バカな自分のバカさ加減を一緒に笑えるようになったら、内気と人見知りは卒業しているでしょう。
人に好かれる話し方
当ブログで何度か紹介している『和田裕美の人に好かれる話か方』(大和書房)に「共感ワードソフト」をインストールしよう」という項目があります。
会話では、相手の話に共感することがいかに重要であるかを説明しています。
自分にとって興味のない話をされたら、あなたはどうしますか。
相手の話が終わる前に、かぶせ気味に「いや、自分は興味ないっすね」と言い放ちますか。
それとも最後まで相手にしゃべらせた上で、「共感ワード」を使って相手が話したがっていることを引き出しますか。
後者の方が、「人に好かれる話し方」であるのは間違いありません。
内気で人見知りの人は、話の矢印を自分に向けてしまいます。
興味がなければ、会話終了だと思い込んでいます。
だから、会話が続かずに苦手です。
でも、話の矢印を外に向ければ、いくらでも会話は続きます。
自分に意識を向けるのではなく、他者に意識を向けるのです。
相手の話を引き出すことを優先するなら、内気や人見知りから卒業できます。
ちなみに太宰治は『人間失格』の中で、道化を演じたとあります。
※道化=人を笑わせるような、おどけた言葉や動作。また、それをする人。
自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。
そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。
参考:太宰治『人間失格』
太宰治の小説を読むと、己のダメっぷりをこれでもかと言うくらい書いています。
そこにユーモアを感じるのは、太宰が自分を茶化すことで内気や引きこもりの殻を破るのに成功しているからでしょう。
格好つけようと思わず、失敗談でも笑いのタネとして他人に提供しようと思えば、自意識過剰のワナから逃れられるはずです。
私自身の過去
私は、内気で人見知りでコミュ障で引きこもりでした。
今でも、その傾向があります。
でも、最近会う人からよく「営業の仕事をしていた?」と聞かれます。
どうやら私から、営業の人のような雰囲気が感じられるようです。
コミュニケーションが得意で快活な人といったイメージでしょうか。
もともと内気で引きこもりの私からすれば、意外としか言いようがありません。
でも一つ心がけているとすれば、会話で和田裕美さんが勧める「共感ワード」を使うことです。
聖書には「 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12章15節) という言葉があります。
相手が嬉しそうに話していたら、自分も嬉しそうに聞く。
相手が悲しそうに話していたら、自分も一緒に悲しむ。
相手が憤っていたら、自分も憤る。
相手の感情に共感すれば、「共感ワード」がすんなり出てくるのではないかと思います。
まとめ
内気で人見知りの人でも、意識の矛先を相手に向けるなら、自意識過剰に陥らないで済みます。
相手の話に共感し、感情の波長を合わせるなら、良い聞き手にもなれるでしょう。
会話とは、いたずらに言葉を費やしてしゃべり散らすことではありません。
感情の交流を図ることが会話そのもの、と言えます。
自意識過剰からどうしても抜け出せない内気で人見知りな人は、太宰治のように道化を演じるのも効果的です。
自分の失敗談を笑って話すなら、適度に脱力できます。
そうすれば生来の内気で人見知りの性格は、鳴りを潜めることでしょう。
「話せる人」ということは、「一緒にいて楽しい人」ということです。
一緒にいる時間が楽しいのですから、これはもうマジで愛されるのです。
人間として愛されるはずです。
フィードバックの中に、さらに相手を幸せをする方法があるんです。
相手をもっと楽しくさせる方法です。
何だと思いますか?
これすごく簡単です。
「共感ワード」を使うことなんです。
反応しても相手をムカッとさせてしまう人がいます。
「私、昨日ねテレビで……」
「あっ私テレビ期待だから見ないのよ」
(会話終了)
「昨日、おいしいコーヒー豆を買ってきたんだけど……」
「あっコーヒーは苦手です」
(会話終了)
正直に答えるんだけど、なんか寒い空気が流れています。
こんな反応をしてしまう人には、「共感ワードソフト」をインストールしておいて、全部を一度に変換してしまいたい衝動に駆られます。
では、変換しますね(笑)。
「私、昨日テレビでね……(さえぎってないので話し手の話が続きます)。
久しぶりに水戸黄門を見ちゃったの。
でね黄門様って里見浩太朗になってるんだね。いや、久々に見て面白かったよ」
「本当? 私、テレビはあんまり見ないから知らなかったよ。面白そうだね。
水戸黄門って、子どもの頃よく見てた。
解決されていく事件を見るのは面白いよね。助さんは誰だったの?」
「昨日、おいしいコーヒー豆を買ってきたんだけど(続きます)。
たまたま入った喫茶店で、とてもおいしいコーヒーを飲んでね。
あなたにも飲ませたいなと思って買ってきたんだよ」
「本当? あまりコーヒーは飲まないんだけど、それって興味ある!
おいしそうじゃない! ありがとう。
で、淹れてくれるの? ありがとうね」
ちょっと思いやりのある「嘘」もあるかもしれませんが、一緒にいて楽しい人になるために、そんな嘘もちょっとだけ必要なときってあるのです。