相性が合わないとあきらめる
これまで10社近くの企業を渡り歩いてきた。
私自身が正社員だったり契約社員だったりと立場は異なるが、いろいろなタイプの上司に仕えてきた。
最初は部下を思いやる面倒見のいい上司だと思い込んでいたのに、途中から豹変する上司もいた。
今なら「パワハラ」に該当するだろうが、ネチネチと人格攻撃をしてきたり、電話をガチャ切りしたりするような幼稚な上司もいた。
基本、人は他人を変えられない。
相性の悪い上司に当たったら、天命と思ってあきらめるくらいの気持ちがちょうどよいかもしれない。
無駄に抵抗したり、議論を交わしたりしても、たいがい失敗する(体験済み)。
口惜しさに涙し、枕を濡らすこともたびたび(?)。
でも、今ならこう宣言する。
「和解はムリ。あきらめよ」と。
繰り返すが、ソリの合わない上司とは、どんなに努力してもソリが合うことはない。
では、どうしたらいいのか。
自分の“影響の輪”に着目せよ
スティーブン・R・コヴィー博士は『7つの習慣』(キング・ベアー出版)の中で、「影響の輪」の概念について説明している。
いわく「主体的な人は、努力と時間を影響の輪に集中させ、自らが影響できる事柄に働きかける」。
いわく「問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である」。
いわく「全くコントロールできない問題については、自分の態度を変える必要がある。気に入らなくても変えられない状況に対して、笑顔をつくり、穏やかな気持ちでそれを受け入れるのである」。
著書では、断酒団体の座右の銘が紹介されているが、これはアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの祈りだと言われている。
神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
参考「ニーバーの祈り」
上司との性格の不一致や相性などは、自分ではどうしようもない。
ウマが合わなければ、あきらめてフラットな気持ちで受け入れるしかなさそうである。
上司に“迫害”された経験
どうしてもソリが合わずに反目しあった上司がいた。
結局、上司が生殺与奪の権を握るので、当時、私は契約社員だったこともあり、契約打ち切りとなった。
悔しかったのは、私と同じ仕事をする派遣社員が、なぜか残ったことである。
契約社員と派遣社員は、立場上は、契約社員の方が「上」のはず。
なのに、切られたのは契約社員の私の方だった。
納得がいかなかったが、査定評価するのも上司。
その上司とは散々、言葉を尽くして意見を交わしたものの、結局相容れることはなかった。
理不尽さに憤りを覚え、寝るときになっても頭に血が上り、なかなか寝付けなかったのを思い出す。
その上司の仕事を盗め
不幸にしてソリの合わない上司がいたとしても、挽回はできる。
その上司を反面教師にすればいい。
「こんなヤツの仕事など、奪ってやる」。
腹が立つ上司を発奮材料にして、自分がその上司の仕事を盗み取るのである。
上司の仕事を、部下である自分が完コピできれば、その上司はもはや不要。
お払い箱になる。
そしてあなたが次の上司として登用されることになる。
理不尽さに耐えた下積みの時代は、決してムダにはならない。
「こんなヤツから、早く仕事を取ってしまえ」。
愛すべき人生の先輩から、上司に叱責されて落ち込む私に贈られた激励の言葉である。
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