富を持つ者の義務とは何でしょうか。
答えは、社会から信託された財産の管理者として、富を個人的な利益や享楽に費やすのではなく、社会の利益のために投じることです。
慈善を施すために富を用いることも結構ですが、相手を間違えてはなりません。
自助努力をして、常に向上心を持ち続けている人を助けるために、施すべきです。
依存心の高い人たちに慈善を施すことは、依存心を助長させるだけで、彼らを一層堕落させることにしか役立ちません。
ところで、私の(勝手ながら)師匠でもあるマナブさんは、5月下旬に支援事業を始めました。
「現時点で、行動している人が対象」としている点で、優れた呼びかけだと思います。
✅お知らせ:支援事業を開始します
返金不要な5万円を、3ヶ月継続して配布します。・現時点で、行動している人が対象
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— マナブ@バンコク (@manabubannai) May 24, 2019
失政だったとしか思えない国のバラマキ政策
今から10年前の2009年、国は経済対策の一環として定額給付金を実施しました。
対象者1人につき12,000円が給付されるというものです。
経済政策とはいえ、早い話がバラマキです。
私も、給付金を受け取った記憶がかすかに残っています。
何に使ったかは覚えていません。
恐らく生活費に消えたのでしょう。
1998年には、地域振興券が国民一人当たり20,000円分交付されました。
定額給付金も地域振興券も、経済政策として実効性があったかと問われれば、大きな疑問符が付きます。
私は失政を重ねたと思っています。
お金をバラまいても、貯蓄されるか散財されるだけです。
もっと違う形で税金を活用できなかったのでしょうか。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの教え
19世紀の鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギー(1835-1919)は、大富豪として知られています。
そのカーネギーは、富を慈善活動に回すとき、「助けるべき人は、自分自身で努力している人に限る」と釘を刺しています。
つまり、金のバラマキを嫌いました。
特に自立心のない人間に、金をバラまくことは害悪だと言い切っています。
では、富を持つ者の義務とは何でしょうか。
カーネギーの言葉を引用します。
私が、富豪と呼ばれる人たちの義務だと考えていることは、次のようなものである。
まず、自分にどれだけの収入があったとしても、ぜいたくを避け、常に質素に暮らすことを心がけなければならない。
自分の資産のうち、妻子には生活が成り立つ程度の少額の資産を与え、それを超える資産は、社会からその運用を託された財産であり、自分はたまたま、その受託管理者に選ばれたのだと考えなければならない。
財産の運用は常に、どうすることが財産の信託者、つまり社会の利益になるかを熟慮した上で行わなければならない。
それは信託財産の管理者として当然の義務なのである。
自分が信託財産の管理受託者に選ばれたのは、資金を運用するための知識、才能、経験が社会から評価された結果であるということを認識し、社会の個々の人たちが運用するよりもより優れた成果を得られるように、常に努力しなければならない。
カーネギーは、自らが築いた富を、社会から信託された財産であるとみなしました。
受託管理者に選ばれた以上、社会の利益のために投じるのが義務だと考えます。
だからカーネギーは、財産をカーネギーホールをはじめ、図書館や公会堂などの建設に寄付しました。
一方、カーネギーは慈善について自助努力をしない人に施すのは、害悪だと言い切ります。
慈善と称する行為のほとんどは、それを受ける人の遊び癖を助長し、泥酔を励まし、怠惰を奨励しているのと変わりはない。
慈善を行い、人に何かを与える人がまず考えなければならないのは、助けるべき人は、自分自身で努力している人に限るということである。
いっそう改善を試みる人に、その手段の一部を与えて助力をすることが真の慈善であり、手をあげて待っている人を助けることではない。
いたずらに慈善に走らず、価値のない人を助けないことも、価値のある人を助けるのと同じように必要なことなのである。
何も確かめず、ただ言われるままに助力を与えることは、力を与えてはならない人に力を与え、力を与えなくてはならない人を黙殺する結果になるだろう。
富豪の援助が社会にもっとも役に立つ分野は、奨学金制度のように、人々が高いところに登る足場を作ることである。
そして、その足場の利用を認めるのは、自ら高いところに登る努力をしている人に対してだけである。
また、無料で利用できる公共施設、たとえば図書館、公会堂、公園、美術館などを提供するのは、富豪の責任である。
なぜなら、このような施設の建設を税金に頼れば、より緊急度が高いといわれる施設への投資が優先するため実現がきわめて難しいからである。
依頼心が強く、すべてを人に任せ、自分の生活が成り立たないのは、他人の責任だとするような人たちを助けるべきではない。
富豪がその生活を助けるべき人たちはそのような人たちではない。
自己の将来に希望を持ち、勤労と勉学に励み、貧しくても意欲があり、強く向上を望み、努力を続ける人たちが、助けられる価値のある人たちなのである。
熱心に自分自身を助けるために努力している人こそ、助ける価値があり、その結果が社会の利益ともなるのである。
富める者は、母なる土地の中に眠る前に、その持てるものをすべて売り切り、その富を、貧しい人たちのためにもっとも有益な事業に使用することである。
そうすれば、無用の富の蓄積者として、その生涯を終わることはない。
以上は、すべて『富の福音』(きこ書房)に載っている言葉です。
「富を運用することは、富める者の権利であるとともに責任である」
「蓄積した富を運用する責任を放棄して、その責任を第三者に押しつけてこの世を去るようでは、富の活用の責任を全うしたとは言えないし、富める者として当然の義務を果たしたとも言えない」
―というのが、カーネギーの見解でした。
まとめ
私もできればカーネギーのように、社会から信託された富を、受託管理者として社会に還元できる者になってみたいものです。
あるいは、マナブさんのように向上心のある人に支援を申し出るような人になれたら幸せです。
間違っても、カーネギーが指摘するように「いたずらに富を蓄積して、その正当な使い途を知らず、自己の欲望を満足させるためだけに富を使う人たち」にはなりたくないと思いました。
きこ書房 (2018-10-03)
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財源を日本国政府が全額補助することで、日本全国の市区町村が発行し、一定の条件を満たした国民に額面1,000円の地域振興券を1人20枚ずつの1人2万円分、総額6,194億円を贈与という形で交付した。
交付開始日から6ヶ月間有効で原則として、発行元の市区町村内のみで使用でき、釣り銭を出すことが禁止され、額面以上の買い物をすることを推奨した。
参照:ウィキペディア