思い出すたびに不快になる思い出
2006年頃、私は東京に本社を置く医療用具メーカーの営業マンとして働いていました。
営業所には、10数名の社員が働いています。
中に商品の受発注業務や倉庫の品出しを行うオイカワ(仮名)という男がいました。
「俺は口が悪い」と自嘲気味に話していましたが、口が悪いだけではありません。
心がひん曲がっていると言いたくなるほどでした。
人を平気で罵倒します。
機嫌が悪いときは、名指しで「シネ」と毒づきます。
そして今ならパワハラと糾弾されかねないことを平然と行っていました。
部下に当たる年配のタカタ(仮名)さんに対して、つらく当たっていたからです。
まるで、タカタさんがいないかのように振舞っていました。
聖書の「ローマ人への手紙」1章30節で、使徒パウロが「罪人」の例をいくつか挙げています。
「そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者」(新改訳聖書)
「そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者」(口語訳聖書)
「人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり」(新共同訳聖書)
この中の「 人を人と思わぬ者」「不遜な者」「人を侮り(=人を侮る者)」は、翻訳の違いがあるだけで意味としては一緒です。
「人を人と思わぬ者」とは、どういう人のことを指すのか、なかなか実感が湧きませんでしたが、オイカワを見ていると、まさに「人を人と思わぬ者」を体現していることに気付かされました。
あるとき、タカタさんと私が一階の倉庫で商品の整理をしていました。
オイカワが二階の事務所から降りてきて、何か用を足すと、私たちがいるのを知ってか知らずか、一階倉庫の電気をパチンと消して二階に登っていきました。
当然、倉庫は真っ暗になります。
内心、「あっ、消しやがった。俺たちはここにいるぞ」――と叫ぼうとしましたが、年配のタカタさんが私を制して「いいんだよ」と言います。
どうしてタカタさんが理不尽とも思えるオイカワの仕打ちに抗議をしないのか、私は不思議でなりませんでした。
普通なら、はらわたが煮えくり返ります。
そのタカタさんは、翌年、退職することになりました。
送別会でタカタさんから告げられたのは、衝撃的な一言でした。
「モタヨシ君からもらった年賀状、あれは効いたね。これで辞めることにしたよ」。
どうやら私がタカタさんに引導を渡したようなのです。
オイカワにどんなにひどい仕打ちを受けても耐えていたタカタさんが、私の年賀状の言葉に打ちのめされたというのです。
どんなことを書いたか、気になりますよね。
もちろん私の手元にその年賀状はありません。
10数年前のことです。
書いたとしたら、以下のようなニュアンスの内容でしょう。
「タカタさんがつらい仕打ちを受けているようで、心が苦しくなります」
「タカタさんが無視されているようで、見ている方もつらくなります」
タカタさんは、送別会の席で私にボソッと「あの年賀状は効いたね」と話すのです。
オイカワにどんなに邪険にされても微動だにしなかったタカタさんが、第三者である私の言葉に動揺したという事実が、当時の私にとっては衝撃的でした。
後から知ったことですが、実はオイカワはかつてタカタさんの部下でした。
タカタさんはリーダーとして部下のオイカワを指導する立場にありました。
そこにどんな人間模様が描かれていたのか、私は知る由もありません。
営業所長候補だったタカタさんは、本社からの人事異動の打診に対して首を縦に振りませんでした。
それが原因だったのか、タカタさんは閑職に回され、年月が経つうちにオイカワがタカタさんの上司になってしまったらしいのです。
だからといって、オイカワの「人を人と思わぬ」態度が許されるはずもありません。
一階の倉庫にあるオイカワの一冊のノート。
A4版のやや大きな一冊のノートには、ページが30枚ほどあります。
そのノートを何気なく見てしまった私は、仰天しました。
そこには、タカタさんのダメな点がびっしりと書き込まれていたからです。
そこに細かくタカタさんの悪い点が、これでもかというくらい丹念に書き込まれているのです。
人間の心の闇を知った瞬間でした。
人を人と思わなくなるのも無理はありません。
オイカワの中では、タカタさんを無視していいだけの十分な「証拠」があったのでしょう。
侮っていいだけの十分な「裏付け」を持っている、と確信していたに違いありません。
だから、倉庫に人がいると分かっていても、平気で電気を消すことができるのです。
タカタさんを人扱いしないことに痛みを感じないのです。
むしろ、タカタさんを人扱いしないことは「正当な行為」だとさえ思っていた節があります。
ノートを罵詈雑言で埋め尽くすことができるくらいですから、もう長所などは全く見えないのでしょう。
人は他人の欠点に目が行きやすいといいます。
だからこそ、長所を見るように努めなければなりません。
それなのに人の欠点を意図的に書き出して記録に残すとしたら、救いようがありません。
人間の残酷さ、非情な様を思い知らされて、身震いした出来事でした。
パワハラで人が亡くなった悲しいニュース
ヤフー動画ニュースに以下のような記事が載っていました。
「30歳の部下が自殺…パワハラ認定の市役所女性係長が停職6か月 “1人だけ会話しない”等の扱い」
7/26(金) 17:55配信 東海テレビ
自殺した愛知県小牧市の職員が、上司によるパワハラと認定された問題。この上司を停職6か月の懲戒処分です。
小牧市によりますと総務部情報システム課の女性係長(46)は、去年4月から7月にかけて部下の当時30歳の男性職員に対し、一人だけ意図的に会話をしないなど差別的な扱いをしていました。
男性は去年7月この女性係長について「威圧的」などと記した直筆のメモを残して、自宅で首を吊り自殺しています。
市が設置した第三者委員会は6月、この女性係長の行為をパワハラと認定していて、市は26日付けで停職6か月の懲戒処分としました。
この女性係長を巡っては他の職員に対するパワハラも認定されていて、市は女性係長の上司だった職員らについても管理責任として減給や戒告としています。
上司だった女性係長は、部下である30歳の男性職員に対して意図的に会話をしないなどの差別的な扱いをしていたそうです。
パワハラと認定され、女性係長は事実上の退職勧奨とも言える「停職6ヵ月」の懲戒処分を受けました。
以下のヤフコメが印象に残ったので、残しておきます。
うちの職場にもパワハラ
64歳女性がいます。
あと一年で退職なので我慢します。
とりあえず理不尽な事を
言われても対応をされても
我慢しています。
ちなみに私は蕁麻疹の症状
ほかの人はうつ病や胃痙攣
胃に穴など
皆さん家庭があるので
我慢しています。
どこの職場にもいるんですかね?
そういう先輩いた。上司が私を褒めてくれた日から急に挨拶どころか業務連絡もしてくれなくなった。仕事にかなりの支障が出た。
毎日わざと人前で挨拶しましたよ。
黙って仕事を放置してくるので気づいたらこれ置いといて下さったのは〇〇先輩ですねありがとうございますって人前で言いました。
こっちが伝えなければいけない事も返事せず上司に聞いてないと言われるから人前で大きな声で言わないとダメでした。
最後までチラ見だけで話してくれませんでした。
周りは優しい人ばかりで助かりました。
あからさまにそういう事する人けっこういるんですかね
部下をリスペクトできない者は、上司なんか辞めちまえ
部下は上司の腹いせの対象ではありません。
上司にとっては、自分の全存在をかけて育てるべき人材です。
上司の持っている良きものを、すべて与えるくらいの気持ちがなければ務まりません。
人間学を標榜する『致知』という雑誌を通じて、埼玉銀行(現・りそな銀行)元専務の井原隆一氏の存在を知りました。
埼玉銀行(現・りそな銀行)元専務
井原隆一 (いはらりゅういち)
1923年、14歳で埼玉銀行に入行。並外れた向学心から独学で10年刻みに法律・経済・経営・宗教・歴史を修めた苦学力行の人。
最年少で課長抜擢、常務・専務を歴任の後ち、大労働争議と大赤字で倒産寸前の会社の助っ人となり、一挙に40社に分社するなど、独自の再建策を打ち出し、短期間に大幅黒字、無借金の超優良会社に蘇えらせる。その後も数々の企業再建に尽力。名経営者としての評判が高い。
主な著書に「社長の帝王学」「人の用い方」「社長の財学」「財務を制するものは企業を制す」「危地突破の経営」「危機管理の社長学」…他、多数。2009年逝去。
井原氏は、著書『社長の帝王学』(日本経営合理化協会)の中で、リーダーのあるべき姿を語っています。
「人を用いる道は、権力財力など力ではない。人を人と見る己の慎み、人を敬う心であると感じた」
上司として部下を生かす方法は、人を人と見る己の慎み、すなわち「 人を敬う心」だと言うのです
「人を人と思わぬ」態度とは、真逆です。
「人を敬う心」があってこそ、部下を優れた人格で感化し、立派に成長させることができます。
「権力を与えられた者の任務、言い換えれば、権力者の最高の任務は己より優れた部下を育てることにある。企業の公共性とは、人材育成をもって第一とする」
上司たるものの役割は、 自分よりも優れた部下を育てることだ――と井原氏は説きます。
「人間、まったくの例外を除いては使えない人間というものはない。どうも役に立たなくなったから窓際に移せ、受け皿会社へ転籍してしまえ、と軽々しく言うべきではない。そういう人間こそ先に追い出されるべきである。世に無用というものはない。無用の用、という教えもある」
どんな人間にも、活躍できる場があります。
適材適所を見出してあげられるかが重要です。
本来「使えない部下」などいません。
「使えない部下だ」と思っている上司こそ、「使えない上司」です。
「経営者として絶対欠かせないものは部下を信頼することだ」
部下を信頼していれば、パワハラなど生じる余地はありません。
「限りある人間が限りない愛社の寿命を維持する道は、己より優れた後輩を育てあげるだけである。そのためには、それぞれがもつ能力のすべてを部下に譲れ、次の仕事を譲れ、魂も譲れ、最後に会社の財産も譲れ」
企業で上司たる者は、自分よりも優れた部下を育て上げることが求められます。
自分の地位が脅かされるからと言って、有能な部下を握り潰すような上司は、上司失格です。
上司は、その職責上持っている「資源」を、すべて部下に譲り渡すくらいの気構えが求められます。
井原氏の説く「 魂も譲れ」の言葉は、やや大げさに聞こえますが、身も心も捧げ尽くす気持ちで、部下の育成に励めと言いたいのでしょう。
まとめー「人を敬う心」があれば、パワハラは無理
大人のいじめは、残念ながら存在します。
パワハラは、大人のいじめの一種とも言えるでしょう。
それをなくす唯一の方法があるとすれば、井原氏の説く「人を人と見る己の慎み、人を敬う心」を抱くことです。
上司は部下を信頼し、「敬う心」がなければ務まりません。
上司は、自身よりも優れた部下を育て上げる必要があります。
ノートにびっしりと部下の悪口を書いたり、見下したり、「人を人と思わぬ」態度をとったりすることは、完全にご法度です。
タカタさんの送別会の日に戻ります。
当日、きっとオイカワは「使えない部下」がいなくなり清々しているか、喜んでいるだろうなと思って、私はオイカワの様子に注目していました。
ところが全く思いがけないことに、そこにはしんみりとしていつもより元気のないオイカワの姿がありました。
画像:日本経営合理化協会より